コメディー要素をどのように戯曲に取り入れるか(PART1)
皆さん、こんにちは!
今日は、戯曲(舞台台本)の創作において、どのようにコメディー要素を付け加えるか。僕なりのノウハウを書いてみたいと思います。
6月4日のブログ記事『コメディー ~その効果と意義について~』において、物語にコメディー要素を加味することが得意だと書きました。
ありきたりのストーリーに、どのようにコメディーというエンターテイメント性を加えるか。私なりのやり方があります。
私が、もっとも重要視しているのは、物語の趣旨や流れに逆らうかたちでは、絶対に『笑いの要素』を付け加えないということです。
たとえば、古典的な作品に、現代しか使わないであろう流行語などを入れて、その場的に観客を笑わせようという手段を、私は一切とりません。
『その物語の世界の範疇でのコメディー』
観客を笑わそうとするあまり、物語の世界とは逸脱したダジャレ等を台詞にしたとします。台本に書かれてあるから役を演じる俳優は、その台詞を発するわけです。
ところが、台詞自体、物語の世界観とは不一致なため、結局『俳優自身の発言』になってしまう。
悪い意味で『自己アピール』を俳優にさせてしまう危険に迫られます。
こうなると、物語の世界観は、もろくも崩れ去るでしょう。
台詞を言わされている俳優にとっても不幸なことです。
その物語の世界観の中で、俳優が忠実に役を生きる。ストーリーにそったコメディーによって観客の笑いを誘う。その喜びを演者にさせてあげたい思いで、私は戯曲を書くことを常としています。
『物語の世界観の範疇でのコメディー』
それをもっとも実現している戯曲作家と言えば、アントン・チェーホフでしょう。ロシアを代表する劇作家。いや、「世界の劇作家」です。
喜劇・悲劇、スタイルを問わず不朽の名作の数々。
とりわけ「チェーホフの喜劇の特徴」として挙げられるのは、ある一人の主人公の台詞が極端に長くモノローグ調(独白)であることです。
自分の抱えている悩みや家族の人間関係のわずらわしさに関して、朗々と語る長台詞。
その人物の境遇と発言そのものが滑稽であり、観客の笑いを誘う秀逸さ。
不自然な台詞が一切ない。あくまで物語の世界の中で彼が一人で語っているという『説得力』があります。
だから、演じる俳優も台詞を発するだけで、いやが上にも、その世界の住人になるわけです。チェーホフの喜劇の世界に生きている感覚です。
あとは、俳優の技量のみ。技量が高ければ高いほど、よりリアルな演技に到達するわけです。すなわち、『上質のコメディー舞台』に立てることになります。
アントン・チェーホフ作品が世界中でいまだに上演されているのは、こうした戯曲の『説得力』だと思います。
彼の没後、100年以上が経過しています。
この記事の続きは、また明日ということで。
明日は、より具体的な私のノウハウを書きたいと思います。
では、皆さん、今日も人生の良きステージを!