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ブラックジョークの神髄とは? ~『エディ・マーフィー/ロウ』より~

   


皆さん、こんにちは!
映画、舞台、バラエティー番組において、さまざまな形態で、『ブラックジョーク』が発言されていて、聴く側・観る側に笑いを誘う場面は多くみられます。ブラックジョーク、つまり毒舌とも言えるでしょうか。

 

「日常で心の底では思っていても、人には言えなかった」不可解な部分、疑問符、不満をユーモアに変えて表現する手法です。視聴者が言えなかった本音を代弁することで、共感を生む。
これを売りにしてメディアに露出している方々も、多いでしょう。

 

ブラックジョークというのは、マンネリ化している生活形態に一石を投じ、刺激を与えるという意味で、人々に求められている表現方法であると思われます。

しかし、その反面、諸刃の剣とも言えるでしょう。シニカルな側面が伴うため、下手をすれば、不快感を与えるリスクがあります。

 

そこをどう解決するか?

それは、毒舌の中に含まれるユーモアの度合いが重要であります。
それがないと、ジョークにはなりません。

 

ブラックジョークは、普通のジョークにはない特有のジョークになるため、人々の心をストレートに掴むメリットはあります。この手法をふんだんに使う方々が後をたたないのは、そのためでしょう。

 

ではここで、私の身近な体験について、記載したいと思います。
ある知人の女性で、人に対して毒舌な発言をして場を盛り上げる習慣を持った方がおられます。言われた当人は、彼女と親しいこともあり、毒舌に対して、受け入れて、共に笑いあっていました。

ところが、時折、言葉が行き過ぎて、不快な思いを感じさせる発言も含まれることがありました。客観的に見て、心地よい関係性が保たれない「危険」もあるように思われました。

しかし、彼女の毒舌的な発言の質に変化がありました。あるストレッチ・クラスによって、根本的に身体の状態が変わったことによって、これまでの毒舌発言が、まろやかな形で伝わるようになりました。こうなると、毒舌も『許容範囲』となります。

 

要するに、毒舌やブラックジョークも、その人自身の人柄や精神的な状態によって、良い印象にも、悪い印象にも転がるということです。ここが、大きなポイントであると思われます。

 

ブラックジョークを見事にエンターテイメントショーとして成立させた方がおられます。

アメリカ俳優であり、コメディアンとして世界的に有名な、エディ・マーフィーさんです。

日本でもVIDEO化された『エディ・マーフィー/ロウ』
マイク片手に一人で舞台に立ち、マシンガントークでガンガン話しまくる内容です。

 

話の内容は、男女の仲や、日常生活におけるゴシップ、下ネタや皮肉などが殆どです。テレビでは放送できないフレーズのオンパレード。約2時間、ブラックジョークが続きます。

ところが、会場全体が、笑いの渦
ゴシップだらけの発言ですが、不快感を感じません。それは、エディ・マーフィーさん自身が、決して憎めないキャラクターだからです。人柄と人望が、ブラックジョークをエンターテイメントに仕立てあげています。

 

ここから理解できることは、すべては発言者の人柄と温かみよって成立しているということです。
ブラックジョークや毒舌を面白くするのは、発言者の人格の高さと言っても過言ではないでしょう。

 

映画や舞台のみならず、日常会話で、相手に対する毒舌をはなつことは、その人自身の人格が大きく左右されることは、忘れてはならないと思われます。

相手を傷つけてしまったならば、それはブラックジョークとしては成立していません。極端に言えば、名誉棄損でもあります。そのため充分に注意を払うべきでしょう。

 

「ブラックジョークを言いたいから言った」というのではなく、ジョークとして果たして効果的だったかということを計算して、使用すべきだと私は結論づけます。

より良い人間関係を築くためにも、細心の注意を払うべきでしょう。

 

発言者は、相手への気遣いの気持ちを持って、ブラックジョークを使用するように心がければ、何ら問題は起こりません。
毒舌をユーモアに変えるには、発言者自身の自分に対する厳しい目が必要とされると私は思います。

ブラックジョークが、人を笑わせる有効な手段として使用できる術。
個人のセンスが大いに問われるところです。

 

 

では、皆さん、本日も人生のステージを有意義にお過ごしください!

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