『引退』という枠やカテゴリーを捨てる意義
2016/07/04
皆さん、こんにちは!
音楽家、俳優、写真家、画家などなど、芸術に携わり、夢を追いかける人にとって、いろんな事情が重なり活動を断念せざるを得ない状況はあると思われます。
私も、『断念の決断』をした人をこれまで数々見てきました。
「家庭の金銭的事情があり、就職するために、やむを得ずギターを置いた。」
「画家で生活することを目指していたが、親に強く止められて筆を置いた。」
「年齢のこともあり、好きなことばかりもしてられないので、芸人をやめることにした。」
このように、それぞれ理由は様々です。人生でやりたい事とは裏腹に、『引退』=『辞める』の道を選択する。
たとえば、プロ野球選手は、成績が残せず球団から契約延長されなかった場合、プロ野球選手として『引退』を決断をするというのは、致し方ないでしょう。
しかし、そうした事情ではない限り、「他の道に行くから芸術活動を辞めてしまうというのは、どうなのか?」と私は疑問に思えます。
「別の道に進むから、決別の意味でも、キッパリと辞める!」
このように言う方も多いと思います。それも『美徳』なのかも知れません。
ところが、別の道に進んでいる最中、時間があったので、ギターの演奏をしたり、ドラムを叩いたり、絵を描いたりしたら、意外にもレベルの高い表現ができることも、多いと思います。
そこで出来た作品を関係者に見せたら、トントン拍子で当初の夢が実現することだってあるのではないでしょうか?
こんなエピソードがあります。
『ある画家(男性)の作品が全然売れなくて困っていた。ところが、絵の勉強もしたことのない彼の奥さんが絵を描いたところ、それが物凄く評価されて売れ出した。専門で絵を描いていた旦那よりも、有名な画家に成ってしまった。』
このエピソードは、何を意味しているのか?
奥さんは、家事手伝いをしていましたが、そこで磨かれた感性が絵に上手く投影された。
つまり、『独特の表現』『思いもよらない才能』は、別の道(分野)に進んだからこそ生み出されたということを、このエピソードは伝えています。
私が言いたいのは、自分の可能性を自ら止めてしまう必要性がないと思います。
自分で理由をつけて、『引退する』『辞める』というカテゴリーや枠組みに押し込めるのではなく、そんなものを取っ払って、そのまま続けていけば開ける才能もあると思います。
別の道に進んでも、やりたいことを続けることは可能でしょう。
別の道に進んだからこそ、自分の人間性が磨かれて、独特の味わいの表現も生まれるはず。
(このブログ内での)『アート(表現に関する全般』のカテゴリーに入れようとしましたが、『ビジネス・一般』のカテゴリーに、この記事を当てはめました。
なぜなら今日の記事の内容は、広く一般社会で働く人たちに伝えたいという気持ちがあったからです。
では、皆さん、今日も人生の素晴らしいステージを!