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『映画界の伝説』オーソン・ウェルズが放った名言~愛情への言及~

   


皆さん、こんにちは!

どの分野でも、天才を凌駕する天才という方々が存在します。誰にも真似できない発想や能力で、その分野を新たに開拓または発展させて、伝説に残る功績を生んだ方々です。『巨匠』と呼ばれたりもします。

 

画家のレンブラントやレオナルド・ダビンチ、音楽でのモーツァルト、iphoneを生み出したスティーブ・ジョブズ、オペラ歌手のシャリアピンなどの方々が、それに当たるのではないでしょうか。

映画界にも、偉大な功績により伝説として敬意を評されている人が居ます。
その方の名前は、オーソン・ウェルズさんです。この方の経歴は凄まじいものがあります。映画界の歴史上においてもこれほどまでに、伝説的な方も存在しないでしょう。

 

●1915年、ウィスコンシン州に生まれる。子供時代から詩、漫画、演劇の天才児として認知されていた。しかし、父はアルコール依存症、祖母はオカルトと魔術にハマるという複雑な家庭環境で過ごす。

1934年、当時19歳のとき、ラジオドラマのディレクター兼俳優となり、マーキュリー劇場で仕事をスタート。世界恐慌後、大不況の中、アメリカ政府による演劇人と大衆への演劇供給を目的としてプロジェクトである連邦劇場計画(FTP)が始まる。そのFTPの責任者に21歳のオーソン青年は注目されて、演出家として赴任。シェイクスピアの『マクベス』の公演を大ヒットさせる。

1938年、CBSラジオで、H.G.ウェルズのSF小説内容をもとに、『宇宙戦争』を放送。迫真の演出と構成、高い演技力、そして「臨時ニュース形式」で放送したため、聴取者は本物のニュースと間違い、パニックを引き起こした。これにより、ウェルズは全米に名を知られる。

1941年公開の映画『市民ケーン』では、監督・脚本・製作・主演をすべて担当。ディープフォーカス(画面の中のすべてのピントが合う手法)を初めて試みる。長回し、広角レンズの多用、床にカメラを収める穴を掘って撮影したローアングルの多用など、この作品で画期的な映像表現を実現。

その斬新な映像は、いまだに評価が高く、世界中の映画雑誌で実行されているオールタイム・ベストテンでは、常に第一位に近い位置にランキングされている。

映画「第三の男」でのハリー・ライム役をはじめ、存在感で見せる俳優としても名を馳せる。晩年まで映画製作への情熱を失わないまま、1985年70歳で死去。

これがオーソン・ウェルズさんの経歴です。(※簡略化して記載しました。)この経歴からしても、映画界に残したインパクトの凄さを垣間見えることが出来ます。

 

そのオーソン・ウェルズさんが、生前、このような発言(=名言)をされています。

「我々は、生まれてくるときも、人生を過ごすときも、また死ぬときも、常に独りだ。ただ愛と友好を通してのみ、我々は『自分は独りではないのだ』という幻想を築くことができる。」

 

オーソン・ウェルズさんが生んだ名言として、有名な言葉です。ハリウッドで旋風を巻き起こした反面、出演作品では不遇だったオーソン・ウェルズさんが抱えていた「心の欲求」であるように思われます。映画や絵画、音楽という表現手段に没頭する人は、どこかに孤独感を携えながら、創作活動を続けている方々は多いです。

表現手段が、心の溝を埋め合わせる役割を担ってくれるからです。表現を通して、人と繋がれる。交流もできる。同志も見つかる。その時、この言葉にもあるように、「独りではないのだ」と感じさせてもくれます。しかし、その根本は、孤独な自分がプライベートに存在するという事実・・・。

 

大きな功績を残されたわけですが、経歴において複雑な家庭環境に生まれたため、実は強い孤独感(愛情への飢え)を強く持たれていたことは推測されます。

伝説的な偉業を達成された方々も、過去の経歴を調べれば、複雑な家庭環境に育っていたり、成人になっても死と隣り合わせな体験を持っていたりする場合が多いです。功績の裏には、プライベートな孤独感が存在することに注目するべきです。心の飢え・渇きが、爆発力に繋がり、人が出来ない業績に繋がったこと。

 

業績と孤独感は隣り合わせであること
現代社会で生活する私たちにとって、このオーソン・ウェルズさんの名言から学ぶことは多いと思われます。

 

では、皆さん、本日も素晴らしき人生のステージをお過ごしください!

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