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シナリオライターをされている方々を私は尊敬します!

   


皆さん、こんにちは!
映画や演劇の舞台において、最重要とされる項目が存在します。それは、シナリオ(=脚本です。いくら演技力のある俳優を集めても、脚本が優れていないと、観客を満足させる劇は生まれないと言われています。

「とにもかくにも、台本次第!」
このように叫ばれたりするのは、映画や舞台の良し悪しを左右するのが『脚本の良さ』であることが、数多く実証されているためでしょう。

 

今日のブログのタイトルにある通り、私は、シナリオライターをされている方々を常々尊敬しています。それには理由があります。

「なぜ尊敬するのか?」
その理由を挙げたいと思います。

 

映画や舞台の台本には、小説には存在しない『制約』があります。『制約』という言葉を辞書で引くと、「ある条件や枠をもうけて、自由な活動や物事を成立をおさえつけること」とあります。

一つのシナリオを成立させるには、「条件」が必要となります。シナリオは、あくまでも映画や舞台に通用するものでないといけません。つまり、『実現可能』な範囲での物語をシナリオライターの方々は、考えないといけない。そのため、好き勝手に自由に何でも書けないという『制約』が常に付き纏うわけです。

 

例えば、小劇場用には、その空間の中で実現可能な台本が必要です。少人数の会話劇による状況設定の妙味がシナリオライターに試されるところでしょう。

大劇場用にも、その空間で実現可能な台本が必要です。大人数による集団劇、大掛かりなセットによるファンタジー色が溢れた台本も(小劇場に比べて)幅広く書くことが出来るでしょう。

しかし、そうした大規模なセットを実現できる予算や経済力がある劇団なら、そうした脚本があっても創作可能です。ただ、そういうわけには行かないケースが多いかと思います。舞台出演者の人数、制作スタッフの技術、セットに与えられる予算などを照らし合わせて、演劇化できるか・できないか。

 

このように、ステージや映像のおける実現可能な範囲内で、脚本家はシナリオを創作する必要性に迫られます。
小説なら、舞台化・映像化しなければならないという『制約』からはフリーであると思われます。小説家の想像をフルに生かして、時代小説、ファンタジー小説、現代小説の等々のカテゴリーの中で、登場人物が生活している町の状況設定などを自由奔放に書くことが出来ます。

たとえば、別の星で宇宙人と交流して地球の常識ではありえない生活をする人間の話、大多数の水牛の群れに遭遇する西部開拓時代の主人公、天使に無数に囲まれて天国に昇天した子供たちの話だとか、起承転結さえ成立すれば、小説として一つの形になるでしょう。

 

ところが、戯曲や映画の脚本では、あくまで書かれた文章が、舞台化できるか・映像化できるかを常に考えながらの創作作業になるがゆえに、シナリオライターをされている方々は、その部分で神経を注ぐこと多いと想像されます。

 

「制約が多い中での創作活動」
私が、シナリオライター・脚本家を尊敬するのは、この部分です。「対舞台」、「対映画」という命題に向かいつつ、自分の世界観をシナリオに投影し、人を魅了する完成度の高さを追求しなければなりません。個々の能力と努力が集約された結晶が、(その方自身が独自に生み出した)「シナリオ」です。

(※あえて補足しますと、このブログ文で、小説を書くほうが簡単で、脚本を書く方が難しいと言っているのではありません。小説を含め、文章によって新たな視点を提供する物書きの皆さんを尊敬していうことを前提で、今回はシナリオライターの方々をピックアップしたに過ぎないことをご了承ください。)

 

日々、自分の想像力と向き合い、舞台化・映像化の実現に向けて邁進されているシナリオライター(脚本家)の方々の見えざる努力を私自身常に忘れないようにしたいと思います。舞台や映像制作の根幹を担っている重要な仕事であり、その営みは、常にライトに照らされるべきでしょう。

 

では、皆さん、本日も人生のステージを謳歌してください!

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