『ひれ伏す』とは、大いなる存在を知る行為そのものである~彫金家・帖佐美行さんの名言より~
皆さん、こんにちは!!
当ブログでは、偉人の方々が語った名言をもとに、いくつか記事を書いてきました。
『名言』を話題にした記事は、とても反響を呼んでいます。
本日も、ある名言をもとに、私の意見を述べていきたいと思います。
今回、ご紹介させていただく記事は、こちらです⤵
「自然に、ひれ伏さなければ、自然は、その一番美しいところを見せてくれないと言った人があったが、その通りだと思う。
物を見下すと、欠点がよく見えるようだ。
見上げるようにすると長所が見えてくる。
見下して生きるのは、不平不満の生き方。
見上げて生きるのは感謝の人生だと思う。」 ~帖佐 美行(ちょうさ みゆき)~
帖佐美行(ちょうさ よしゆき)さんは、ウィキペディアでは、このように紹介されています。
1915-2002 昭和-平成時代の彫金家。
大正4年3月25日生まれ。小林照雲,海野(うんの)清にまなぶ。伝統の技法に溶接,鍛造などの技法を取り入れ,建築の壁面装飾などにも分野をひろげた。
現代工芸美術家協会や日本新工芸家連盟の設立に参加。昭和41年建築装飾「夜光双想」で芸術院賞。49年芸術院会員。平成5年文化勲章。平成14年9月10日死去。87歳。鹿児島県出身。本名は良行。作品に
「創生」など。
まさに、卓越した芸術家らしい名言だと思います。
「自然の前に、ひれ伏す」
皆さん、このような経験をされたことがありますか?
そもそも、ひれ伏すという行為自体、これまでの人生において、何回あったでしょうか?
目の前の偉大なもの、偉大な人物に対して、思わず両膝をつき、頭を下げる。いや、下げざるを得ない。このような状況下に置かれた場合、その人自身が持つ謙虚さが、生まれることでしょう。
こうなれば、上から目線による「傲慢さ」は、決して生まれないと思われます。
そして、この名言にもあるように、目の前の対象物の長所が見えてくるでしょう。自分が敵わないと思うからこそ、垣間見えてくる対象物の凄さ。
この名言の場合、その対象物を『自然』と定めています。
大いなる自然の重厚さ・荘厳さ、あるいは驚異に、自らがひれ伏した場合、その時初めて『大いなる存在』への敬意が生まれでてくる、、、。
私は、この名言が、とても奥深いと感じます。また、『ひれ伏す』という行為そのもが、人間関係の鍵となるワードであると思います。
ひれ伏して、見上げたときに表出される、(対象物、あるいは対象者への)感謝と尊敬の念。
『ひれ伏す』という行為は、一般的なイメージと異なり、決して悪いことではないと私は思います。
帖佐美行さんの名言により、私も『ひれ伏す』という行為へのイメージも変わりました。
『自然』という大いなる存在があるからこそ、ひれ伏すことが出来る。
そして、ひれ伏さざる得ない状況下に置かれた場合、眼前に広がる大いなる存在を知ることが出来る。
もし、その場で、ひれ伏さざるえない状況になったとき、それはチャンスです。
眼前に広がる『大いなる存在』を知る絶好の機会かも知れません。
では、皆さん、本日も、健康的で素晴らしい人生のステージをお過ごしください!!

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