『成長』の概念への再考 ~新しい認識に向かって~
皆さん、こんにちは!
タイトルにある通り、今日は『成長』に関しての私見を書いてみます。
人として生きる上で、自己を『成長』させることが重要であるということは、よく言われていることだと思います。
『成長のために、今以上に自己を磨き、現状に満足せず努力し自分を高めること。それが大切。』
私も、子供のころから親に、そのように教え込まれてきました。
しかし、この『成長』の意味に対して、疑問に思うことも最近多いです。
『自分が前よりも成長した』というのは、何をもって判断できるのでしょうか?
自分の今現状よりも「プラス」されれば成長か、と言えば決してそうではないような気がします。
今の自分に、努力して何かを付け加えれば、それが本当の成長と言えるのでしょうか?
私は、決して、そうだとは言えないと思えてきました。
たとえば、筋肉をつけるためにトレーニングをします。
前よりも筋力もつき身体も大きくなった。(※筋力的には、以前よりも成長したと言えるでしょう。)
ところが、かえって俊敏性を失い、動きづらくなり以前の状態のほうが良かった・・・。
こういうことは、よくあることだと思われます。
「もっと高めようと思って頑張ったが、結果的には前の状態のほうが良かったのでは?」
あるいは、
「今よりももっと高めたいと思って頑張って、目標に到達した。ところが、まだもっとやれると思って目標を掲げて頑張った。また目標に到達したが、また新たに目標を立てた。
一体いつまで続くんだ? もっと、もっと、まだまだもっと、とやっていく内に、満たされない思いでしか自分は行動していなかった・・・。(それに気づいた)」
こういうジレンマに悩んだ経験が私には多々あります。
こうなってしまうと、『プラスアルファ・付け加え』=『成長』という概念が崩れ去るわけです。
『なにかを足したから』、あるいは『何かを引けば』
このようにプラス・マイナスという成長の尺度ではなく、「ただ、そこに在る自分」を感じ取れること。
私は、この点がとても大切だと思えてならないです。(特に、今日この頃)
「自分を高めよう」とか「成長させようとか」で必死で頑張って、時に悪戦苦闘し、ようやく何かに到達した。ところが、気分も体調も優れない・・・。
気が付いたら、自己を成長させようと頑張る前のほうが、身体の状態も気分もすこぶる良かった。
~幸せを求めて長い間旅をしてきた。幸せを探し求めて遠い旅に出た。ところが、幸せは、自分のポケットの中に既に入ってあった~
(昔、聞いた)このような例え話も思い出されます。
『自己実現』 『幸福』 『成長』
世の中で謳われている、人の生き方に関して重要視されているキーワード。
それが何を意味するのか。
再考する必要があるかと思われます。
それにより、新しい認識に向かうことが出来ると想定します!