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正岡子規の『悟り』に関する見解が、極めて真実を突いています!!

      2017/04/29


皆さん、こんにちは!!

『悟り』

この言葉について、どう思われますか?

『悟り』というフレーズに関して、一度や二度は、考えたり、意味を思考したりすることはあると思います。

 

私も、20代の大学生だった頃、ふと「悟りの境地って、何なのだろう?」と思ったりしたことがあります。

しかし、特に、悩み悩んで、悟りの境地に達したいがために努力したわけではありません。また時間を割いたわけではありません。

 

ただ、どことなく気になる言葉」であったのは確かです。

 

皆さんも、そんな感じではないでしょうか?

社会に生きる多くの方々は、目の前の生活に精一杯でしょう。

悟りを開くために、全てを投げ打って修業に出たりなどする人は、ごく限られた人のみだと思われます。

しかし、社会生活の喧騒の中、『悟り』に関する意識は、微小なりとも存在するに違いありません。

 

「なぜ、この世の中に生きているのか?その意味は?」

この問いかけは、万人に共通する心理だと思います。

 

その問いかけと答えに繋がる『悟り』というフレーズ。

その『悟り』に関する解釈として、真実を突く名言がありましたので、今回ご紹介します!こちらです。

 

「悟りという事は、いかなる場合にも、平気で死ねる事かと思っていたのは間違いで、いかなる場合にも、平気で生きている事であった。」(正岡子規)

 

正岡子規さんは、明治時代を代表する文学者です。

俳句、短歌、小説、評論、随筆など多方面の創作活動を行い、日本の近代文学に大きな影響を及ぼしました。
また、文学を通じて『野球』の普及に貢献されて、野球殿堂入りも果たしています。

 

私も、どことなくですが、いかなる場合でも平気で死ぬことを悟りだと思っていた節があります。

たとえば、病に倒れた場合、あるいは、誰かに殺されそうになった場合などなど。

いわば、自分が望んでいないシチュエーションでの死の瀬戸際そこでさえも、平然と居られること、それが悟りだと思っていました。

 

ところが正岡子規さんの視点は、全く違います!

「いかなる時であっても平気で生きている」

この言葉を知ったとき、私は、悟りに対する真実の解釈であることを痛感しました。

そうですよね。
悟りというのは、生きている時に体現するものであって、死ぬ間際に体現しても、、、です。

 

社会生活をする上で、人間関係の悩み、仕事上での悩み、家族との不和、友人同士のイザコザ、他人から受ける不快な発言などなど、マイナス思考に陥ることは多々あるでしょう。

その時、平然・平気生きることが出来たとしたら、、、。

 

外部からの心理的なプレッシャーや圧力に影響されない自分が存在するはずです。
こうなれば、心の真の強さを身につけたことにもなり、心理的な平穏さを体験することにもなるでしょう。

 

私は、正岡子規さんの見解に、全面的に賛成です。

皆さん、生きているうちに、どのような形で、「悟りの境地」を知ることになるのでしょうか?
正岡子規さんの『名言』を参考に、いま一度検討する価値はあると思います。

 

ちなみに、この名言を紹介してくれた方は、誰も行きそうにない海外の国に、ふと思い立っては、そこに赴いたりなど、『個性ある独特のライフワーク』をされている面白い人です。

そうした独自性の強い方が選び、そして推薦した「偉人の名言」であるからこそ、かえって真実味が強い言葉であるように思われます。

 

では、皆さん、本日も実りある人生のステージをお過ごしください!!

 - スピリチュアル